僕の朝は、いつだってコーヒーの香りと共に始まる。仕事中もマグカップは手放さず、一日に少なくとも四杯は飲むのが当たり前の日常だった。あのキリッとした苦味が、思考をクリアにし、僕を仕事モードへと切り替えてくれる。そんな僕が自分の髪に異変を感じ始めたのは、三十歳を過ぎた頃だった。シャワーの後の排水溝、枕に残された数本の髪。気のせいだと思いたかったが、鏡に映る生え際は、記憶の中のそれよりも、わずかに後退しているように見えた。ある夜、ふと「コーヒー 薄毛」というキーワードで検索してしまったのが運の尽きだった。画面には、カフェインの過剰摂取がもたらす睡眠の質の低下や、栄養吸収の阻害といった、不安を煽る情報がずらりと並んでいた。まさか、僕の活力の源であったコーヒーが、僕の髪を脅かしていたというのか。その日から、コーヒーを飲むたびに、一抹の罪悪感が胸をよぎるようになった。しかし、この愛すべき習慣を完全に断ち切ることは、僕にはできなかった。そこで僕は、敵視するのをやめ、コーヒーとの「付き合い方」を見直すことにした。まず、飲む量を一日二杯までと決め、午後三時以降は飲まないというルールを設けた。夜にどうしても口寂しい時は、カフェインレスのデカフェを選ぶようにした。飲み方を変えて一ヶ月。劇的に髪が増えたわけではない。しかし、明らかな変化があった。夜、すんなりと眠れるようになり、朝の目覚めが格段に良くなったのだ。日中の集中力も、以前より持続するようになった気がする。健やかな身体は、健やかな髪を育む土壌となるはずだ。そう信じられるようになっただけでも、僕にとっては大きな一歩だった。コーヒーは今も僕の友人だ。ただ、少しだけ距離を置いて、大人の付き合いをするようになっただけのことである。